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通貨は変化する物なのだ

ポジティブな国際貿易収支を経済の運営基盤とするような国々は、市場の思惑等によって自国通貨が過度に高騰し、自国内輸出産業の国際競争力が低下する事を非常に懸念するものです。 「1.20ユーロ/スイス・フランという水準を最低限の目標として維持すべく、無制限に外貨を購入する。」と一昨日にスイス中銀が発表した方針は、自国通貨が高騰し続ける状況への同国政府の焦燥を表しているようです。 このような措置は自由市場という現代の国際的経済体制に反するのでしょうが、制御不能なまでに暴走する「市場/投機マネー」が主権国家の存立をも脅かす様になってしまったのでしょうね。

人間であれ野性の生物種であれ、長く続く安定状態に慣れてしまうと環境変化への適応能力が低下してしまう為、政治家のセンセー方や行政側の人々も狼狽してしまうのでしょうが、世界の通貨体制は過去に幾度も大きく変化してきたのですよ。 過去20年程の間、日本では80円-140円/$という範囲の為替レートに慣れてしまったようですが、それ以前からの世界の通貨体制の変遷を鑑みるならば、制度的な歪みが増大した20世紀型のシステムはそろそろ抜本的に見直されても不思議では無いように思えるのです。

年代通貨体制の変化
1944年ブレトン・ウッズ協定-金との兌換を前提としたドル基軸体制及び国際機関(IMF等)設立に関する合意。
1945年ブレトン・ウッズ協定発行-固定相場制。360円/ドル
1971年ニクソン・ショック-突然の金/ドルの交換停止。変動相場制へ移行したものの、市場は混乱。
1971年スミソニアン協定-市場の混乱を収拾するための協調的な固定相場交換レートの設定。308円/ドル
1973年突然のドルの10%切り下げ-市場は再び混乱し、再度変動相場制へ移行。
197x米国のインフレに対する懸念から、ドルへの不安が増大(ドル危機)。
1979年ボルカー・ショック-新金融調節方式による引き締めで米国の金利が上昇し、円安/ドル高方向へ。
1982年インフレは克服したものの、経済の停滞/失業率の上昇を招いた為、米国は金融緩和策へ転換。経済の回復と共に貿易赤字が拡大。
1985年プラザ合意-貿易の不均衡によるドル危機の再発を防止すべく、G5蔵相が協調的なドル安誘導で合意。特に超輸出超過国の日本が標的とされ、240円/ドル程度だったレートが同合意の1年後には150円/ドル程度に急落。(円高)

ドル円推移1950
円/ドル・レートの推移(1950年-)
ドル円推移平成
円/ドル・レートの推移(1990年-)

プラザ合意以後の急激な円高によって景気が減速した(円高不況)事に慌てた当局が、急速に緩和的な金融政策を進めた事でバブルを生みだし、バブル崩壊後の金融危機を経て現在に至るまでデフレに苦しんでいるというのが日本の姿ですね。 前述のスイス政府程には大胆な掟破りを行えないものの、日本政府のセンセー方だって幾度も為替市場への介入を日銀へ要請してきたのですが、そのように各国が個別の措置を講じても通貨体制及び為替市場の構造的な問題は解決できないと思うのですよ。

今年前半に各種の商品先物相場が急騰した事から、4月/7月と政策金利を引き上げたECBの判断は拙速だったと思うのです。 彼らの使命はインフレの抑制だけなのですが、失業率が高止まりしたままで賃金が上昇していないのですから、2度も金利を引き上げる程にインフレは逼迫していないのですね。 結果的に、欧州の景気を更に押し下げてしまった事が最近の経済指標からも指摘されているので、ECBは近い将来に再度金利を引き下げざるを得ないように思うのです。 そうなると、過大評価されていたユーロが下落し、円やスイス・フランが逃避先として(対ユーロで)再度上昇する可能性もあるように思うのです。

世界経済が危険な局面に入ってきたとも指摘され始めているので、このような為替の乱高下を看過できなくなるでしょうから、今週末のG7財務相会合では何らかの抜本的な方策が話し合われる事になるかもしれません。 ただし、毎日4ー5兆ドルものマネーが為替市場に飛び交うようにもなっており、劇的な変更を唐突に表明すると市場の混乱及び経済への悪影響を招きかねないという現在の状況はプラザ合意の頃と大きく異なるので、注意が必要でしょうね。

ミセス・ワタナベと海外市場で揶揄される日本国内の一般的なFX利用者達は、自分自身も暴走する投機マネーの一部であるという自覚など持っていないのでしょうが、突然に通貨体制が変わってしまった場合には強制ロスカットで多額の損を被るかもしれず、「ウギャギャァー」というような叫び声をあげながら暴走してしまうかもしれません。



プラザホテル歴史的な会議が開かれたプラザ・ホテルは、セントラル・パークの南東角に面した場所に位置しています。 イスラエル資本に買収された後、大部分を高級アパートとして再構築する為、同ホテルは2005年の春に一旦閉鎖されました。 この閉鎖に伴いガレージセールが行われるという事を知ったので、掘り出し物を探すべく私も足を運んだのです。 ホテルのロゴが入ったスリッパや従業員用制服など、面白い物がいろいろとあったのですが、私自身は以下のような品を購入したのです。

・皿(ドイツ製:大・小各6枚)
・ティーポット
・シャンパン・グラス(航空機内で使用されるような丈の低い物6個)
・絵画(開港当時のニューヨークを描いたリトグラフ 80cm×160cm程)
・各部屋に備えられていた避難経路表示プレート

竹下大蔵大臣(当時)が苦渋の表情で使用したかもしれないグラスに注ぐのはいつも安物のワインですが、とても気に入っているのです。





次回に続く・・・




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