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私的風景(彼岸の窓)

(追記2:31日21:00)
(追記:25日22:05)
今月中旬に別宅を退去し、本宅へ転居したのです。

様々な土地に移り住んでいた10年近くの間も本宅内の生活環境を保持していたので、別宅で使用していた様々な家財を廃棄する事となったのです。 例えば、本宅の食堂には長さ240cmの食卓(6脚)がどーんと鎮座しているので、別宅にて長年愛用した食卓セット(6脚)も不用品となってしまったのです。

別宅から搬送した荷物の開梱/収納作業及び本宅に長年貯め置かれていた家財の処分に加え、快適な生活空間を設ける作業にも忙殺され続けているのです。



改築後に放置していた居間へカーテン・レールを取り付けようと決意したのです。 視覚的な趣きを考慮してカーテン・ボックスを設置しようと考えたのですが、いずれの市販品も高価(5千円-5万円程度)な割に陳腐な印象を受けたので自作する事にしたのです。

【工程1】
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・取り付け用L字金具(かなり厚みのある頑丈な物:約50円/個)
・コンパネ用取り付けネジ(約300円/276本:業務用なので少量セットが無い)
勿論、取り付けネジはコンパネ裏の下地材にねじ込む。(下地探し用の工具は約1,000円)

【工程2】
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窓枠の上部にL字金具を取り付ける。(うーん、かなり頼もしい)

【工程3】
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ホームセンターで購入した2重カーテンレール。(最もシンプルな固定長の製品:約1,500円)

【工程4】
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ブラケットをL字金具の下側に取り付けるべく、標準付属品のレール固定ネジを充分な長さの別売りネジと交換。(別売りネジ 4×20mm×8本:約110円)

【工程5】
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余分な長さのネジ部をL字金具に仮止めし、レールの位置を調整。

【工程6】
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ブラケットの壁側取り付け面をカーテンボックス用板(裏面)に当てて位置合わせ。

【工程7】
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カーテンボックス用の板は居間を改築した際に余った窓枠材なので視覚的には完璧なのだが、L字金具の負荷を軽減すべく2/3程度(15mm→10mm)に薄く削る。(DIY 用ノミ:約1,500円)

【工程8】
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「カーテン・ボックス用部材に固定したブラケット」をL字金具に取り付ける。 ついでに同じ部材で15cm程の側面部を加えて完成。(スバラシイ!)



約2mの部材をノミで薄く削るのは大変な作業なのですよ。 カーテン・ボックスを取り付ける窓は他に2箇所残っているのですが、引っ越し後の荷物が山積みとなっているガレージを使用する事はできず、雨模様の日には庭先での作業ができない為、全てを完成させるまでには更に数日を要する事となりそうなのです。



追記2:
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3ヵ所のカーテン・ボックスが完成!

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住宅建築時から備え付けられている食堂のカーテン・ボックスにも見劣りしない。

関連情報:

私的風景(晩冬)
私的風景(初秋)
私的風景(初夏)


次回に続く...


追記:

いろいろと忙しいので、各種情報の分析も捗々しく進まないのです。

自国民の感情に過剰な反応を示すドイツの政治家及び市民感情を全く無視する欧州官僚の皆さんが窮余の策として捻(ひね)り出したお馬鹿な救済策によって漸く注目されるようになったキプロスの問題については、本稿にて以前から整理していたので特別に驚く事も無いのです。 一つのボールに向かって全員が駆け出す「小学生のサッカー」の如く馬鹿メディアの皆さんも同じ論調の報道を繰り返すばかりなので、私自身は余り関心を持っていないのです。 個人的には、以下の様な情報の方に興味を持っているのですが、如何せん、情報を分析する時間的余裕がないのですよ。

 Forget Cyprus, Japan Is The Real Crisis(キプロスは忘れろ、日本こそが本当の危機だ)



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最終ラウンド進出(2/2)

昨日の記事の続きです。



Japan’s Economy Has Entered a Terminal Phase
日本経済は最終段階に入った


円の切り下げが世界市場において日本の輸出を更に競争力のあるものとする事を助けた一方、それは同時に輸入品の価格の急上昇を招いたのである。 彼等は食糧やエネルギーの様な必需品を輸入に頼っているので、それは本当に悪いニュースなのである。 彼等は世界最大の魚の輸入国であり、世界第3位の農産物輸入国なのだ。 彼等は常に賢く自らの資源を最大限に活用してきたのだが、明らかに選択肢を使い果たしつつある。 日本は山だらけの火山の多い島である為、彼等には自国の大きな人口に食糧を供給する為の天然資源が不足しているのだ。

外国のエネルギー資源への依存性に対する彼等の解決法は、自国の原子力エネルギーを開発する事であった。 しかし福島の災害が、その戦略の実行可能性に対する懸念を提起したのである。 彼等は選択肢を使い果たしつつあるのだ。

だから彼等は輸入を削減する事ができず、より高い価格への支払いを余儀無くされるのである。 歴史的に日本はインフレを上手に管理してきたのであるが、これらの最近の展開は将来に亘って同じ様に(インフレ管理を)続ける事を非常に困難にするであろう。 1月、日本銀行は彼等のインフレ目標を1%から2%へと2倍にした。 円の切り下げは一つの問題を解決し、新たな問題を創ったのである。

日本円は現在深刻な問題を抱えている。 世界中で増加する国家債務は、更に多くの政府に自国通貨を切り下げさせ、円を切り下げ続けるよう日本へ圧力を与えているのだ。 世界は底へ向かう競争に突入したのである。 金融専門家のマックス・カイザーは、それを輪の中に並んだ葬列と呼んだのだ。

ゴールドに裏付けされていないフィアット通貨にとって、これは目新しい現象でも無い。 フィアット通貨は崩壊するまでの平均予想寿命が僅か35年である事を歴史が示している。 同じパターンが幾度も幾度も繰り返されてきたのである。 一旦通貨が金本位制から引き離されると、破綻した政府の指導者達が彼等の保有していないマネーを使い、その支払いの為に単純に更なるマネーを印刷する事が非常に容易となり、それによって通貨の価値を押し下げるのである。 リチャード・ニクソン大統領はドルが価値を失う事は無いと約束しつつ、1971年に米国のドルを金本位制から離脱させたのである。 彼は嘘をついたのだ。 1971年以降、ドルはその価値を80%以上失ったのである。 フィアット通貨として、ドルは現在42歳であり、平均予想寿命を7年超えているのだ。

現在合衆国と日本は共に彼等の通貨の落日の時代にいるのだ。 このフェーズは無責任な政府支出によってもたらさたのであり、政府が債務支払いの為にマネーの印刷を始める時に加速するのである。 これは、避ける事のできない清算の日を後回しにする問題の先送り以外のなにものでもない。 最善のシナリオにおいても、莫大な政府支出及びマネーの印刷は繁栄の幻影を伴う一時的なバブルだけを提供するのである。 彼等は根本的な問題の解決に失敗し、長期的な経済的繁栄をもたらしはしないのである。

日本の債務の負担は我々(米国)のそれよりも大きく、彼等の天然資源は我々のそれよりも限られており、彼等は我々よりも落日の時代を少し先に進んでいるのだ。 そこで彼等は経済的崩壊の可能性が最も高い候補であると見えるのだが、我々は彼等へ追いつく為に最善を尽くしているのである。

今週 PeakProsperity.com 上に公開されたグレゴール・マクドナルドによる「日本の落日の訪れ」と題された記事の中で、我々が目にしようとしている日本の中で展開される事を彼は記述したのだ。


日本にとっての不愉快な現実は、彼等の製品に対する需要が弱まり続けるのと同時に仕入れのコストが上昇しているという事である。

日本は島国であり、その為に新たな天然資源の発見に驚喜する可能性は非常に低いという事を我々は強調しておかねばならない。 大規模なヘッジ措置を通じて仕入れ価格を固定する彼等の能力を除いて、彼等は LNG、石炭の現在及び将来の価格に全面的に曝されており、グローバルな供給事業者達はこの事実を有利に活かすのである。

…日本の経済は失敗しようとしているのだ。 そして、その時、その結果は不動産から株式市場、原油そしてゴールドまで、世界中の資産に関して目を見張る様な影響を持つのである。

日本の悩みが積み上がるにつれ、発生する可能性が増々高くなるイベントが進行しているのだ。 資本を守ろうと注視している投資家達は(危機の中で機会を見つけようという貪欲な者達と同じ様に)良く勉強しており、彼等を観察しているのである。

その多くが同じ様な過剰債務及び激しさを増す重要な商品の世界的競争というマクロ的逆風に直面している他の OECD 諸国にとって、日本は先導役としての役割を果たしている為、他の全ての者達にとり、この話は重要なのである。

日本が進むにつれ、我々全ても同様に進むのである。[続きを読む...]


そして、日本が直面している全ての課題を要約しようとも、我々はそのリストが長く増えていくのを目にするのである:
  • 年間 GDP の200%に近い巨額の債務。
  • 自らの債務への支払いの為の更なるマネーの印刷及び世界通貨戦争での奮闘を余儀無くされる。
  • 彼等の輸出市場を守る為の自国通貨の切り下げの継続を余儀無くされる。
  • 天然資源が限られている為、増々高騰する食糧やエネルギーの様な必需品の輸入の継続を余儀無くされる。
  • より高額になる輸入品価格の為、インフレの脅威が増大する。

これら全ての要因の組み合わせは、存在の最終段階へと日本円を押しやり、日本を経済崩壊の有力候補にするのである。 金融関係のインサイダーによると、世界最大の多国籍投資銀行はこれらの要因を考慮し、日本を崩壊させる事を最近決定したという事である。 そして、もしも、ある朝に日経株式市場が崩壊したというニュースで貴方が目覚めたとしても驚かないでもらいたい。 世界第3位の経済大国として、彼等の崩壊の影響は世界中で感じられる事になるであろう。



Max Keiser を「金融専門家」と表現する事からも容易に推測できますが、上の記事を書いたのは「陰謀論」に与する種類の人物であると思えるのです。(確かに Max Keiser は嘗て金融系企業に勤めていたようですが、「シルバーの空売りによる儲けを企むJPモルガンを破綻させるべく、皆でシルバーを買い進めようぜ!。」と騒ぎ立てる金融陰謀論アジテーターと見てあげた方が良いでしょう。)

前回にもコメントしましたが、上の記事を書いた人物は学術的な経済の知識を有していると思えないのですが、キリスト教信者として「予言」の類の怪しい情報(Brother Bob’s Prophetic Dream of a Worldwide Economic Collapse)も記述しているのです。 本来は、そちらの怪しい情報に興味を抱いたのですが、とりあえず殆ど同じタイミングで掲載された上の記事の方を確認してみたのです。


次回に続く...



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最終ラウンド進出(1/2)

WBC直前の壮行試合から厳しい戦いを続ける侍ジャパンは、接戦の末に台湾を下して決勝ラウンド進出への期待を高めてくれました。

その一方、既に日本が最終ラウンドに入っていると分析している人々もいるのです。



Japan’s Economy Has Entered a Terminal Phase
日本経済は最終段階に入った


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20年以上に及ぶ経済的なトラブルの後、日本は今、最終段階へ入った様に見える。 彼等は完全な経済的メルトダウンへ近づいており、選択肢を使い果たしつつあるのだ。

1990年の日経株式市場の崩壊と共に不況が始まって以来、日本政府は更なる政府支出によって彼等の経済を刺激しようと試みた。 残念な事に、彼等が示す事となったのは巨額の国家債務だけだったのである。 約束された経済の回復は決して起きなかった。 政府支出は経済成長を促す事ができないと、自由市場主義経済学者達が言い続けてきた事を証明しながら、彼等は社会主義に対する見本Aとなってしまったのである。 民間部門こそが成長のエンジンなのだ。

日本における結果は驚きと受け止められるべきではない。 不況から抜け出す方法として政府が支出を試みる何れの国においても同じ結果が生じたのだ。 1930年代におけるフランクリン・ルーズベルト大統領のニューディール、1960年代におけるジョンソン大統領のグレート・ソサエティ、1970年代におけるカーター大統領の不況、そしてアメリカの歴史において最も遅い経済回復を生み出す為に1兆ドル近くを支出した2009年におけるオバマ大統領の不首尾な刺激プログラムを含め、合衆国は同じ過ちを繰り返したのである。 証拠は明白であり、政府支出は経済成長を促す事ができないのだ。 革新的な政治家達、さもなくば社会主義者及び共産主義者として知られる人々はそれを耳にしたくないであろうが、それは事実を変えるものではない。

しかし解決の為に政府へ目を向け続けている。 1月に彼等の新しい首相である安部晋三は、公共事業に対して増額した政府支出及び継続する量的緩和を通じて不況から脱すべく経済を促進するという彼の案を発表した。 23年間の停滞の後、彼等は喜んで民間部門に試みさせるだろうと貴方は考えるかもしれないが、安部の考えは、過去の同じ様な古臭い政策を用い、今回は何とか機能するだろうと願う事なのだ。 安部の計画は更に、既に経済規模の倍以上となっている彼等の上昇する政府債務へ焦点を当てねばならないのである。

そして誤った救済策を適用し続ける事により、日本は専ら彼等の経済的苦境を批判しようとしているのだ。 しかし、丁度彼等が最後に回復の兆候を見せ始めた時、与信及び投資支出に関して世界中を凍り付かせた2008年の米国の住宅市場の崩壊の打撃を彼等は受けたのである。 そして、大規模な破壊と福島の原子炉のメルトダウンを引き起こした津波が東北部日本を襲った2011年に、再び彼等は打撃を受けたのである。

今日(こんにち)、日本は更に合衆国及び欧州連合の過ちによって引き起こされた新たな問題へ直面している。 10年以上に亘る大規模で前例の無い程に度を越した支出の後、これらの国々の政府は驚異的な債務水準を積み上げて世界経済を大災害の縁へと導いたのである。 毎年の莫大な赤字と共に、何かが起きねばならないのだ。 世界は持続不可能な道筋上にあり、後戻りする兆候を全く見せていないのである。 対処するには大き過ぎるという点へ債務水準が近付くに従い、諦める日が目前に迫っているのである。

合衆国政府を水面上に保つ為、連邦準備制度理事会は膨大な量のドルを印刷する事によるマネタイゼーションを始めたのだ。 現在 FRB は、QE3として知られ、この量的緩和は量及び時間において無制限であるとベン・バーナンキ FRB 議長が述べた事により現在では「無限のQE」と呼ばれている第3フェーズの量的緩和を実施している。

前例の無い米国のマネー・サプライの増加は、日本円の様な他の通貨に対して米ドルの価値を引き下げたのである。 米国における量的緩和の開始以降、2008年夏におけるドル当たり123円から2012年10月のドル当たり僅か76円へ、円はドルに対して劇的に上昇した。 円の上昇は外国市場における彼等の製品の価格を押し上げて競争力を低下させた為、自動車及び電気製品の輸出に牽引されている日本経済にとって、それは非常に有害なものだったのだ。

だから、我々自身の債務への支払いを試みる中で、報復以外の選択肢を日本に与えなかった通貨戦争を合衆国は不注意にも始めてしまったのである。 ドルや他の通貨に対する円の価値を引き下げる事を試み、日本銀行は彼等自身の量的緩和で応えたのだ。 そして、それは機能しているのだ。 2012年10月以降、円はドル当たり76円から今日時点の93円へ切り下げられたのである。 そして、それは誰が最も速くマネーを印刷して自身の通貨を最も切り下げるかという事を目にする、底へ向かうレースなのだ。

日本経済は円の切り下げに反応する兆候を見せた。 彼等の輸出にとって更なる競争力のある価格を伴って日本製品の売り上げは上昇し、企業の株価も上がったのである。 過去3カ月の間に、日経平均は価格を25%上昇させた。 この事は、日本が遂に自らの経済的トラブルから抜け出す兆候として、その結果をポール・クルーグマンの様なケインズ主義者達に祝福させる事となったのである。 しかし、他のエコノミスト達はそのシナリオを信じていない。



自動車及び電気製品の輸出に牽引されている日本経済にとって」という具合に、上の記事にもステレオ・タイプ的な日本の経済構造に対する先入観が示されている様です。 本稿で幾度も指摘した様に、ドイツや韓国の様に輸出がGDPの4割も占める様な国々と異なり、「現在の」日本において輸出がGDPに占める割合は1割強でしかないのですよ。

また、「2008年夏におけるドル当たり123円から2012年10月のドル当たり僅か76円へ、円はドルに対して劇的に上昇した」と上の記事でも指摘されている過去数年間の円の値動きについては、アベノミクスを論ずる我が国の馬鹿メディアの皆さんも様々に解説しています。 「昨秋から円は急落しているが、これは行き過ぎた円高の修正である」という説明や、「現在の円の水準でもリーマン・ショック前の水準からほど遠い」という類の解説が目につくようです。

しかしですね、2008年の金融危機以前には、日本(もしくは日銀)だけが突出した金融緩和策を続けていたのであり、日本のみが継続していたゼロ金利政策の下で所謂(いわゆる)「円キャリー・トレード」が世界中を席巻していたので、当時の円の交換レートは「過度に安く歪められていた」と見るべきではないかと思うのです。

上の記事の著者は学術的に経済を専門としている訳では無いので、広範に浸透している先入観を持つのも仕方のない事なのでしょう。 我が国の宰相だって、殆ど同じ様な(平均的愚民と同程度の)先入観を持っているようですからね。



次回に続く...



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ピークは2度訪れる

史上最高値を更新したNY株式市場(DJIA)に続き、日経平均株価も12000円を突破しました。 相変わらず続く市場参加者達の高揚感に対し、「5月20日(前後)に注意すべき」というアーチ・クロフォードのコメントについて以前に触れましたが、同じ様な時期に起きるかもしれない変化を予測する人々が他にも存在するようなのです。



Solar Cycle Update: Twin Peaks?
太陽周期の最新情報:ツイン・ピーク?


2013年3月1日:何か予期せぬ事が太陽に起きている。 2013年は、11年間の黒点周期である太陽極大期の年であると想定されている。 2013年になったものの、太陽の活動は比較的に低調である。 太陽黒点の数は2011年中の値よりも甚だ低く、強い太陽フレアは数ヶ月間稀であった。

この静けさにより、一部の観測者達は予報官達が兆候を見落としたのではないかと疑問に思ったのだ。 ゴダード宇宙飛行センターの太陽物理学者ディーン・ペズネルは異なる解釈を持っている:
「これは太陽極大期です」と彼は示唆している。 「しかし、それは二つのピークを持っているので、我々が予想したものとは異なっている様に見えるのです。」

Solar_Twin_Peak.jpg

太陽の活動は単純な振り子の様に行ったり来たりするというのが従来の理解である。 周期の一方の端において僅かな黒点及びフレアだけを伴う静かさがある。 もう一方の端において、太陽極大期は高い黒点の数と太陽嵐をもたらす。 それは11年毎に繰り返される定常的なリズムなのだ。

しかし、現実は更に複雑である。 天文学者達は何世紀もの間太陽黒点を数えてきたのであり、彼等は太陽周期が完全に規則的なものではないという事を見てきたのである。 一つには、太陽黒点の数における行ったり来たりという振れが10から13年の間に完結するという事がある;同じく、周期の振幅(強さ)も様々である。 ある太陽極大期は非常に弱く、別ものは非常に強いという事があるのだ。

更にペズネルは他の複雑さを指摘している:「1989年及び2001年頃の前の2度の太陽極大期は、一つでは無く二つのピークを持っていたのです。」 太陽活動は上昇し、落ち込み、そして再上昇し、約2年間続いた小さな周期を作ったのである。

同じ事が現在起きているかもしれないのである。 計測される太陽黒点の数は2011年に急上昇し、2012年に急減したのであり、それらが2013年に再び増加するとペズネルは予想している:「2013年に別のピークが起き、恐らく2014年まで持続すると語る事について、私は満足しているのです。」と彼は予測している。

その他の太陽周期の珍しい現象は、太陽の各半球が常に同時にピークとなる訳では無いという事である。 現在の周期において、南半球は北半球に後れをとって来たのだ。 もし2度目のピークが起きた場合、それは太陽の赤道の南側の活動の急増を伴って南半球がキャッチ・アップするという特徴を見せる事になりそうである。

Solar_Cycle24.jpg

ペズネルは、次の太陽極大期を予測する為に2006年及び2008年に組織された第一級の太陽物理学者達のグループである NOAA/NASA の太陽周期予測パネルの主要メンバーである。 当時、太陽は約100年間で最も深まった極小期を経験していた。 太陽黒点の数はゼロ近くに釘付けとなり、X線フレアの活動は数ヶ月間死んだ様になる事もあったのだ。 深まる極小期の後に弱い極大期が続く事は少なく無いと認識し、前兆的証拠となる多くの他の脈絡を引出ながら、同パネルはこの声明を発表した:

「太陽周期24予測パネルは合意に達しました。 次の太陽周期(周期24)は、90個の最大太陽黒点数を伴いながら、強度において平均を下回るであろうと同パネルは判断しました。 太陽極小期の日付けを考慮しつつ極大期の強さを予測したところ、現在、2013年の5月に太陽極大が起きると予想されているのです。 これは全員一致の判断ではありませんが、パネルの圧倒的多数が同意したという事に注意して下さい。」


2013年2月の太陽活動の弱い状態を考えると、現時点で5月の極大が起きる様には思えない。

「貴方が単一の振幅を予測しつつも太陽が2度のピークで応じる時に起きる事を我々は目撃しているのかもしれません」とペズネルはコメントしている。

ついでに、現在進行している太陽周期24と、20世紀の最初の10年間に2度のピークを持った太陽周期14の間の類似性をペズネルは指摘している。 もし二つの周期が実際に同一である場合、「それは、2013年の後半に一つのピーク、そして2015年にもう一つという事を意味するのです。」

次に太陽がどのような動きを示すか、誰も確かな事を知らない。 しかし、2013年の終わりには、年初よりも大幅に活発となる可能性がありそうである。



太陽の活動と(金融市場の激変、地政学的緊張の高まり、社会的動乱等の)人間の営みに何らかの関係性があると考えている人々もいるようですが、ゴダード宇宙飛行センターの研究者達がNYダウ株価の動向を分析しているとは思えませんね。

関連記事:
極小期に向かう太陽

次回に続く...



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変われない日本

笹子トンネルの天井崩落事故直後に掲載した稿(「社会資本としての住宅街」)の冒頭で、以下のような愚考を述べました。

トンネルに限らず、鉄道/高速道路の橋脚や都心部の高層アパート等、これから昭和期に作られた様々な建築物が老朽化/経年劣化によって安全性を問われる事になっていく様に思うのです。 建設当時は経済が拡大基調にあったので、建設費用に充てられた各種公債/民間社債も殆ど償還されているのでしょうが、人口動態の変化などにより嘗ての様な経済成長を見込めない中で、老朽化した社会インフラを立て直していく事は経済効率性の点においても難しい問題だと思うのです。

老朽化したインフラ等への対策費が今年度補正予算に計上された公共事業費の1/4程度(つまり、新規事業が約3/4)でしか無いというという事実も、先日の稿(「課税は正当なの?」)の末尾に付記した様な我が国政府(≒自民党のセンセー方×官僚の方々)への懸念を私に抱かせるのです。



How Demography Is Changing Japan
人口統計が如何に日本を変えているのか


「老人よりも若者が少ないという、増々反転した日本の人口ピラミッドの構造は、高齢者の医療ニーズに応える為に必要な税収を生み出すのが非常に難しくなるという事を意味する。」

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過去数ヶ月間に、過去2-3年間に日本が経験し始めた人口の減少に関連する幾つかの問題を探る二つの記事を、私は The Diplomat 上で公開した。 これが解決策を必要とする問題であるのか否かという事については議論が待たれている。 人口の減少は多くの利益をもたらすが、事実としては、日本政府及び日本国民の何れもが非常に異なる人口学的な環境に反応しており、日本における人口の減少が - 非常に大きな - 問題をもたらしてもいるのだ。

日本がこの傾向の最前線にいるであろう一方、特に、今後数十年間に人口の減少を経験するであろう多くの国々の中で日本が唯一の国であるから、日本を待ち受けているかもしれない人口の減少の結果の幾つかに目を向けるのは興味深い事である。 東アジアにおいて韓国は、2012年で各々1.39及び1.55と推定される日本及び中国の合計特殊出生率(TFR)とほぼ似た様な - 2012年で1.23と推定される - TFR を有している。 これらの全ては、単純に現在の人口規模を維持するのに必要とされる置換率2.1を大きく下回っているのだ。 この問題は東アジアに限ったものでも無い;多くの欧州の国々は非常に低い TFR を有しており、先進国の一部は低下しつつある TFR を経験しているのである。

日本はこの国際的な傾向の最前線にいるので、如何に人口の減少が既に同国へ影響しているかという事を探るのは有用であり、特に、既にしばしば際立った割合で人口減少を経験している農村部は注目すべき場所である。 農村部が特に重要な理由は、低い出生率に加え、それらの地域では都市部又は外国へ出ていく若者の大量の流出も経験する傾向があるからなのだ。 ベルファストにあるクィーン大学の人類学者であるジョン・ナイトが指摘した様に、日本における農村部の人口減少の一部は、社会的活動及び雇用の面で機会が少ないと認識されている農村部から若者達が逃れたいと熱望し(雇用を提供する大きな工場を持つ多くの農村部もあるので、これは必ずしも当てはまる訳では無いが、それが若い世代の間での共通の認識である)都市部の生活、教育、そして雇用に惹きつけられる若者達によって促進されているのだ。

彼の研究の中で、ナイトは農村部の人口減少の環境面への影響を探究したのだ。 その内の一つは、農村部が人口減少を経験するのに伴い、以前には人間の占有によって追いやられていた場所へ野生(動物及び植物)が戻り始めたというものである。 多くの農村地域、特に山村部において熊の様な動物達が、住民に危険を与えるかもしれない人口密集地域へ移動したのだ。 又、熊は農作地に問題をもたらし、彼等を農地から排除する為に農民達が電気を通したフェンスを設置し、作物を守る為に最近まで必要の無かった経費を計上しているのを目にするのも珍しい事では無いのである。 野生動物達による食害は、人々が日本の農村部に留まる事を更に阻害するかもしれないとナイトは主張している。

日本における農村周辺をドライブすると、人口減少の更に重大な結果 - 放棄された不動産に出会う事が少なく無い。 増加する住居、そして付帯する土地は、老いた住人が死去した時に無人の状態で残されるのである。 若い家族は都市に移り、戻ってくる事ができない、又は望まないのである。 その結果、雑草や他の植物が住宅の周囲で急速に成長する中、建物は空のまま残されて維持するのが非常に難しくなるのだ。

実際に高齢者人口の増加は、日本(又はあらゆる場所)における低い TFR 及び人口減少に関連する更に深刻な問題の一つを表しているのだ。 老人よりも若者が少ないという、増々反転した日本の人口ピラミッドの構造は、高齢者の医療ニーズに応える為に必要な税収を生み出すのが非常に難しくなるという事を意味する。 日本の - 65歳を超える - 高齢者人口は、現在総人口の25%程度である。 農村地方において、35%又はそれ以上の住民が65歳を超えているという町を見かけるのも珍しい事では無い。 国内総人口の1/3を超えると予想される大きさへ高齢者人口が増加するのに伴い、日本における医療の財政的負担は正常軌道を外れ、医療産業における労働者が甚だしく不足する可能性があるのだ。

更に難解な農村地方における人口減少の影響は、それが生み出す地元の寺にとっての問題である。 日本において寺々は、それを維持する為に、そして僧侶とその家族の為に費用を提供する地元住民の檀家区域によって支援されているのだ(多くの僧侶達は、他の類の勤めによって所得を補ってもいるのだが)。 過疎化は、多くの寺が彼等の檀家区域の大きさの大幅な減少と、その結果として彼等の所得水準の減少を目の当たりにしてきた事を意味するのである。

幾つかの事例では収入が寺を維持するのに不十分となり、寺の統合を余儀無くさせているのだ。 日本において仏教僧侶の第一の仕事は死者の為の儀式を執り行う事なので、僧侶達の仕事量が増えたにも拘わらず、これらの統合が実施されたのである。 大きな高齢者人口は、更に多くの葬儀を意味し、若者の不足は家の墓地の世話をする家族の数が更に少なくなり、(墓地の)維持を地元の僧侶に委ねるという事を意味するのだ。

亡くなった先祖の為の儀式を行う際、僅かな人々の参加を求める又は如何なる者の参加も求めないという、死に対する供養への新たなアプローチを、都市に居住する(これらの問題が農村地方に限定されない事に注意)一部の日本人が如何に進展させているかという事に着目した、Nature’s Embrace: Japan’s Aging Urbanites and New Death Rites(自然の抱擁:日本の高齢化する都市住民と新たな死の儀礼)という本を、グェルフ大学の人類学者である河野さつきが書いている。 河野が記している様に、死に対処するこれらの新たな道筋に従う事を選択した人々の一部は、日本人の間では一般的なパターンである、先祖の霊を永遠に供養する事を彼等の子孫へ求めるという事を避ける為、その様な弔い方を実行したのである。

日本人が革新的であり、より少ない人々で生活をやりくりしていく方法を見つけ、人口が減少し続ける中で浮かび上がってくる問題に対応する新しい文化的パターンを創り出すであろうという事を、河野の著作が示している。

実際、多くの日本人がそう感じているのだが - 日本は現在非常に混み合っているのだから、より少ない人口は良い事であると多くの人々が主張した。 これが真実であろうとなかろうと、社会の年齢構造が変わる結果としての経済パターン及び労働力構成の変化という様な課題と同様に、もっと多くの人口に供すべくこれまで構築されたインフラの管理及び維持という実際的な課題への対応という大きな困難に日本が直面するのは確かである。 日本の人々は又、今後生じる人口動態及び経済の変化に対応する新しい文化的パターンの創造を余儀無くされる事になるであろう。

加えて、東アジア諸国において減少する人口は、同地域の政治的且つ経済的な力学を形作る上で非常に重要なものとなる。 第二次世界大戦の終わりまで、多くの子供をもうけた女性達が政府によって表彰されていたというのは特筆に値する事である。 この理由は、日本帝国の為に戦う十分な数の兵士を供給するという事だったのだ。

今日(こんにち)、日本人は帝国及び領土拡大に対して何も欲望を持っていないが、如何に日本が、そして隣国が、相互に関与し、東アジアにおける紛争地帯を取り巻く現在の問題の様な緊張に対処していくかという問題の中心に人口が位置するという事実が残されるのだ。 そして、如何にして人々及び政府が人口の重大な損失へ - 感情的に、文化的に、そして方針という面において - 対処するかという事は、非常に予測不可能なままなのである。



上の記事では中国の(合計特殊)出生率が1.55と紹介されていますが、同国の出生率が1.18へ激減したという最新の情報が様々な物議を醸しています。(東洋経済:「出生率1.18でも中国があと10年成長するワケ」)

一方我が国では、世界で最も平均寿命が長いという事も、世界で最も「少子高齢化」が進行しているという理由の一つなのだと思うのです。 米国でも低下し始めた出生率が懸念されているという主旨のロイターの記事を引用しながら、以前にも「世代循環型社会」という稿で長期的な持続可能性について考察してみました。

「少子高齢化」又は「地方の過疎化」という問題が顕在化してから久しいにも拘わらず、一向に抜本的な社会構造の変革が試みられぬ状況に対し、個人的には甚だ失望しているのです。 「コンクリートから人へ」という、かなり焦点のずれた政策を試みて自滅した前政権にも失望させられましたが、旧態依然としたバラマキ公共事業に回帰しつつある現在の政府にも期待できないのです。

国の将来を憂える気持ちが無いのか、憂えながらも本質的な課題を解決する方策を構想/実行する能力が無いのか、或いは、己が利益のみを優先させるという個人的な欲を抑制できないのか、そのような為政者達に政(まつりごと)を委ねている国民の側に問題があるのか、原因の所在を詮索する気にもなれないのです。

民主主義の建前において主権を有する国民の大半が高齢者となり、少なからぬ高齢有権者が病理学的にボケ始めて増々お馬鹿な為政者達を支持する様な事になれば、本当に手遅れとなってしまうと思うのです。



次回に続く...



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