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歴史的な崩壊の兆し

当初の予定を若干遅らせて開始したEU/ECB/IMFとの電話会議を終えた後に、「我々は合意に近づいた。」とギリシャ政府がコメントした事を受け、取引開始直後に250ドルも下がっていたダウ平均株価が急上昇し、前日比マイナス100ドル程度の水準で取引を終えました。 しかし、イタリア国債の格付け引き下げをスタンダード&プアーズが日本時間の本日午前中に発表すると、日経平均だけでなく時間外に取引される各地の先物株式(ダウ、FTSE等)の価格が急落したのです。 加えて、中国銀行がソシエテ・ジェネラル等の一部の欧州系銀行との為替スワップ取引の停止を発表した事で、欧州市場では金融関連株も軒並み下落しているようです。(その後、Bargain Hunters 達が下落した株式を大量に購入した為、平均株価が急回復していると Telegraph は報道しています。イヤハヤ目まぐるしく変化します。)

皮肉な事に、ソシエテ・ジェネラルの超悲観派アナリストである Albert Edwards は、今後の株式市場が大きく崩れるだろうと警告しているのです。

S&P MACD
Moving Average Convergence-Divergence
Stock Market Killer Wave
Stock Market Killer Wave

いろいろと調べてみると、株式/金融市場以外でも世界全体を巻き込むような大災害の兆候が報告されていたのです。



Farmers flee as world's deadliest volcano rumbles
世界最悪の火山が轟き、農民達は避難する


インドネシア、タンボラ山-活火山の斜面から避難せよという日常的な命令をインドネシアの度胸ある農民達は無視しているが、歴史上で世界最悪のタンボラ山が今月に入ってから不吉に鳴動した時に麓で暮らす者達には選択肢が無かった。

ハサヌディン・サヌシのような村民は、彼等が我家と呼ぶ山が如何に記録上最大の噴火をかつて起こしたかという事を若い頃から聞かされていた。-彼等の地域以外では殆ど忘れられた1815年の事象-9万人の命を奪い、地球の反対側の空を暗くした。

そう、タンボラ山が定常的な地震で揺れ始めた時、この45歳の農民は専門家達の説明を聞くまで待っていられなかった。 彼は、妻と四人の小さな子供達を掴まえ、所持品をまとめて揺れる斜面を急いで下った。

安全だと保証されたにも関わらす数日間は山麓の村々へ戻る事を拒否した他の数百人に加わり、「そいつはホラー小説のように大きくなっていたんだ」とハサヌディンは語った。

「噴火口の中にはドラゴンが眠っていると俺達は思った。もしも俺達がヤツを怒らせたら-言うなれば自然を蔑(ないがし)ろにすると-ヤツは炎を吐き出しながら目を覚まし、全ての人類を死滅させるのさ。」

1815年4月のタンボラの噴火は広さ11キロメートル(7マイル)深さ1キロメートル(半マイル)の噴火口を残し、4億トンと推定される硫酸ガスを大気中に噴出し、米国と欧州における”夏の無い年”を生み出した。

それは、もっと良く知られているインドネシアのクラカトアの1983年の-歴史上2番目にひどかった-爆発より10倍も強力だった。 しかし、その当時に大洋を越えてニュースを広める唯一の方法は速度の遅い船だけであったため、それ(タンボラ)は(クラカトアと)同じような国際的知名度を持っていない、とタンボラ研究者のインデョ・プラトモは語った。

対照的に、クラカトアの噴火は電信が普及し始めた頃に発生したので、最初の真にグローバルなニュース・イベントとなったのだ。

ハサヌディンや他の人々がタンボラの噴火口から10キロメートル(6マイル)以内にある村へ戻りたがらないのは、単純で尤もな感覚だと思える。 しかし、それは2億4千万人の広大な-世界の他のどの国よりも火山の多い-国においては一般的な慣習に反するものである。

高くそびえる熱い灰の柱を吹き上げるメラピ、ケルートや他の有名で活動的な火山においてさえ、兵士達から銃を突きつけられてトラックに乗せられる時を除き、農民たちは肥沃な斜面にしがみついているのだ。 家畜や作物の状態を確認する為、安全になる前でも彼等は戻るのだ。

タンボラは違う

山の歴史がある為この地の人々は神経質となっており、彼等の足元で地球がこれ程激しく動くのを感じた事が無い。 1960年代に幾度かの小規模な蒸気爆発を起こした事を除き、この山は過去200年の間殆ど沈黙していた。

5回以下/月から200回以上/月へ急上昇した火山性地震と共に、4月に初めて活動が観測された、と政府の火山学センターのゲデ・スアンティカは語った。

「それは又、時として1400メートル(4600フィート)もの高さまで灰と煙を空気中に吹き出し始めた。」と彼は語った。「それは、これまでに私が一度も見た事の無いものです。」

当局は2週間前に警戒状態を上から2番目のレベルに引き上げたが、噴火口から3キロメートル(2マイル)内の村人達のみが避難を必要とすると述べていた。

それは危険地帯の外側で暮らす何百人もの男女や子供達が、衣服/宝石や重要書類などを梱包してスンバワ島の何処かの親類・知人の家へ向かう事を制止しなかった。

「作物を収穫し、子供達を学校へ戻すために帰郷するよう彼等を促したのですが、我々は苦労しているのです。」と、2700メートル(8900フィート)の山の麓にあるペカットの部落長であるシャイフラーは語った。

「新たな警告は1815年の恐怖を呼び起こすのです。」

殆どの人々は月曜までに彼等の自宅へポツポツと戻った。

-木の年輪のように読み取る事のできる-グリーンランドの氷のサンプルが、1816年に遡る層で驚異的な濃度の硫黄を示した1980年代より前に、タンボラの全世界への影響について知っていたのは極僅かな人々であったと、”人類史の中の火山:はるか遠くにまで及ぶ大きな噴火”の共同執筆者であり地質学者でもあるジェレ・ドゥ・ボイアーは語った。

ガスが水蒸気と結合し、大気中に何年間も残って地球を周回し、太陽放射線の一部を宇宙へ反射する酸性の微細な液滴を形成した。

気温は世界中で急激に低下し、作物の不作を引き起こして大規模な飢饉へとつながった。

米国北東沿岸部の農民達は7月中にもしばしば降雪を知らせた。

フランスでは、ぶどう農園が間引きされた。 ワイン取引会社 Tastet-Lawton のダニエル・ロートンは、1816年が”忌まわしい年”であり栽培されたのは果樹園の1/4のみであった事を彼の会社のファイルに記した。

氷床コアによる調査の後、直ちに科学者達は本格的なタンボラの研究を始めた。

2004年、アイスランドの火山学者ハラルデュア・シグルドソンと米国/インドネシアの研究チームは、高速で移動する火砕流により粉砕された村の残骸をタンボラの側面にある小渓谷の中で発見した。

それをシグルドソンは”東洋のポンペイ”として報道し、その時から考古学者達が発掘の規模を毎年拡大してきたと地元の研究者であるマデ・ゲリアが述べた。

そのように巨大な圧力を再び形成するのは少なくとも200年以上を要する-1815の再現を誰も期待してはいないと、コネチカット州のウェスリアン大学で教えているボイアーは語った。

しかしそれは、新たに出現した山の活動に直面する人々にとって僅かな慰めでしかない。

ハサヌディンと同様に、10代のマリク・マフムードは逸話を聞いたことがある。

「何万もの人々、動物そして田圃が消滅した。」と、火山灰のベールが何年間も太陽を遮断した事を付け加えながら、この15歳の人間が語ってくれた。

「ここには生命が無くなった。」と、噴火口から15キロメートル(9マイル)にあるドロペティ村から彼は静かに語った。「僕は両親からそれを教えてもらったんだ。」



例年と異なる速度/進路の台風が連続的に日本各地へ被害を与えていますが、その原因として偏西風/ジェット気流の変化を指摘する声もあるようです。

アイスランドのカトラ山と同様に、噴火した場合の災害規模が甚大であると予想されるタンボラ山についても最近の状況を整理してきました(記事1記事2記事3記事4)が、地球に生じつつある天体規模での異変がジェット気流の変化等を引き起こしているのだとすれば、地震や火山噴火等にも警戒しておくべきなのでしょうね。

次回に続く・・・




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